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忘れられた約束

Summary:

ソビエト連邦に戻った後、ベルはかつての生活がなくなったことに気づきます。
スティッチはすべてを覚えています。
ベルは何も覚えていません

Notes:

ベルはデュガのエンディングを生き延び、ペルセウスに戻ります。

Chapter 1: 忘れられた約束

Chapter Text

 

光が届かない暗い部屋は、熱気と荒い呼吸で満たされていた。私の視界には乱れた白いシーツ、整列していない枕、そして新たな"ペルセウス"、ヴィホル・クズミンの腕に彫られたたくさんのタトゥーが映った。クズミンは背後から私にのしかかり、羽交い締めにし、怒りと劣情を私に叩き付けていた。私が少しでも首への圧迫感から逃れようと身を捩ると、彼は唸り声を上げ、まるで仕留めた獲物の所有権を主張して抱え込む熊のように、私を拘束する腕に力を込めるのだった。

私は内臓が突き上げられる不快感に呻き声をあげながら、上で動き続けるクズミンが満足するのをただひたすら待った。

サイドテーブルに置かれた注射器が床に落ちる。見覚えのある黄色い液体が中に入っていたが、それが何なのか、もう思い出すことができなかった──

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1981年3月15日。

 

あの日、私はベトナム戦争を共に戦った戦友、ラッセル・アドラーと永遠に離別した。

私を捕え、生かし、尋問し、作り物の記憶を植え付けた男。置かれた状況の整合性が取れない兆しがあると、私を薬物と甘い言葉で制御した男。

 

「その野良犬はもっと早く始末されるべきだった」

 

敬愛する上司であるペルセウスは、ドアにもたれながらそう言った。彼のすぐ横には、左目に大きな傷のある男、通称スティッチと呼ばれるヴィホル・クズミンが立っていた。目深に被ったフードとマスクの隙間から覗く彼の目は強い憎悪を宿し、私の隣りに死体となって横たわっているアドラーを睨み付けていた。

 

──クズミンはペルセウスにアメリカ人を殺す許可を求めたに違いない。彼は時々、奪われた左目の恨み辛みを私に話していた。だがペルセウスが、私の忠誠心を試す為に彼に手出しをさせなかったのは容易に想像できた。

 

ペルセウスは私を労い、グリーンライトニュークを爆破する権利を与え、私はそれを実行した。頭の中で、数百万の人々の悲鳴が聞こえるようだった。これは祖国をより強大なものする為、愛する組織、思想の為、愛する──

 

激しい銃声が私の思考を停止させた。

 

クズミンが銃を構え、アドラーの頭部に銃弾を何発も撃ち込んだ。アドラーの顔面は破壊され、周囲の機材や壁に夥しい量の血が飛び散った。「やめて!」私は咄嗟にクズミンに駆け寄り、彼の銃に手を掛けた。

 

「何故止める?このアメリカ人に未練があるのか?」

 

何故?何故止めたんだろう。自分にも分からなかった。射抜くようなクズミンの視線に耐え切れず、私は無惨な姿になったアドラーの死体に目を向けた。途端に顎を掴まれ、再び視線をクズミンに戻す。

 

「イザベラ」

 

「クズミン。あなたとそれほど親しかった覚えはない。気安く名前を呼ばないで」

 

一瞬、呼ばれた本来の名前に違和感を覚えたが、論点を逸らす為に目の前の無礼な男の手を振り払った。クズミンは目を見開き、その場に凍りついた。

 

「…同志よ、クズミンのことをどの程度覚えている?」

 

私達の様子を静観していたペルセウスが、深刻な表情を浮かべて私に問いかけた。私は何かおかしいことを言ったのだろうか?不安な気持ちが胸に渦巻く。

 

「彼は…彼は五年前に、私達がグラーグから救出した男です。彼の意欲と知識はペルセウスにとって有用でした。プロジェクト・ノヴァについても──」

 

「彼はおまえの婚約者だ」

 

────呼吸を忘れ、目の前の男達を交互に見つめる。

 

遠くから輸送ヘリのローター音が響いた。

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グリーンライトニュークを起爆した後、世界は大きく変わった。かつて私は洗脳され、組織に非常に大きな打撃を与えたが、それ以上の成果をペルセウスにもたらした。その為に恩赦を受け、今はモスクワ郊外にあるオフィスで暗号文を作成する仕事に専念している。

 

ペルセウスにはほとんど会えなかった。

彼が忙しいことは知っていた。組織の再建。人員の補充。各地の工作員たちとの連絡。今の彼には休息すら贅沢だった。

本来なら彼の傍らに立ち、補佐するのは私の役目だった。だが今は代わりにクズミンが彼を支えている。

 

前から住んでいたアパートとオフィスを行き来する日々。今後もペルセウスの側で彼の力になりたかったが、アドラーによって左目に直接薬物を注入されて以来、視力が落ち、日常生活に多少の支障が出るようになった。物を掴み損ねたり、人にぶつかったり。

だが後遺症が残した最も深刻な傷は、過去の記憶の一部が失われていることだった。

 

 

─────三度の重いノックが玄関扉を震わせた。時計を見る。もう少しで日付が変わる時刻だった。まともな来客の時間ではなかったが、誰かは分かっていた。この時間に私の家を訪ねてくる人間は一人しかいない。

 

「夕方オフィスに寄ったがおまえは不在だった。具合が悪いのか?」

 

玄関扉を開けるなり、記憶に無い"婚約者"クズミンは心配そうに私の両肩を掴んで尋ねた。

私は目の前の背の高い男を見上げた。剃り上げた頭、整えられた無精髭、深く刻まれた眉間の皺、鋭い眼光、コンクリートのように硬く大きな体。

だが粗暴な外見に対して、彼の手に込められた力は優しかった。

 

クズミンは私のことをとてもよく知っているようだった。私は彼が組織にとって有用な人物だということ以外何も知らないのに。

以前の私は、本当に彼を愛していたのだろうか───

 

「…頭痛が酷かったから早退したんだ。大丈夫。仕事はきっちり終わらせたよ」

 

「そんなことは問題じゃない。もう平気なのか?眩暈は?吐き気はしないか?いつもの薬は飲んだのか?」

 

クズミンは尚も精査するように私の体を上から下まで見回した。私は彼の視線から逃れる為に一歩後ずさる。失礼にならない程度の絶妙な仕草で。

 

「…問題無いよ。何か用事でも?」

 

「明日…いや、今日からおまえはしばらく休暇だ。俺とヴェルダンスクに来い。暇をするようなら仕事も与える」

 

クズミンは腕時計を確認しながら言った。ヴェルダンスク?休暇?それに仕事を与えるだって?彼は組織内で私より立場が上の人間ではなかった。その私に命令をするなんて、一体どういうことだろう。彼は私の混乱を予見していたようで、続けて言った。

 

「これはペルセウスの命令だ。組織を再建し、拡大する為に活動拠点を増やすことになった。俺は前から用意してあったアパートでしばらく暮らす。今後は忙しくなるぞ」

 

クズミンは私を優しく押して中に入り、リビングの奥にある肘掛け椅子に迷わず座った。

(彼は以前に私のアパートを訪れたことがあったのかな)

 

「そして…彼は俺を次の"ペルセウス"に指名した」

 

「何?そんなことあるわけない」

 

私は今までずっとペルセウスに忠実に仕えてきた。銃火器の腕前を磨き、彼の意向を汲み取り、命令される前に適切に行動した。すべてはペルセウスの為に。いつしか私は彼から大きな信頼を寄せられ、組織の幹部、彼の右腕になった。重要な幹部会議や機密事項について話し合う際は必ず同席を求められた。

それにクズミンは…信頼に足る男だが指導者には向いていない。偉大な思想よりも復讐を追求しようとする男だ。冷静という名のヴェールでそれを覆い隠しているつもりだろうが、彼の根幹には常に怒りと復讐心があった。ペルセウスがそれを見抜いていない筈がない。

 

「彼と話をする。私に相談も無しで、そんなことが決まる筈がない」

 

クズミンはおもむろにジャケットの内ポケットから書類を取り出し、私の前に差し出した。受け取った瞬間、嫌な予感がした。厚手の紙には組織の印章。そして最下部の署名。

 

───イリヤ・レオーノフ

彼の本名。

 

文字を追う指先が止まった。何度も見てきたその筆跡を見間違えるはずがない。これは…本物だった。

 

「今すぐ荷物をまとめろ」

 

 

次のペルセウスの最初の命令だった。